親父を見送って早1週間。
その間も本番があったり、死亡に伴う事務手続きがあったり、ほんまにバタバタでゆっくり思いに耽る時間もなく、まだアタマの整理も出来てないし、まったく実感がない。
そもそも、そないにさいさい実家に帰ってた方ではないさかいに、父の不在というのが実感としてないのは致し方の無いことなんかな。。。
なかなか改まって真面目な話をっていう機会が多くなかったこともあって、父が後に残す母のことをどう思っていたのか、どうしようと思っていたのか、また、われわれ兄弟のことをどう思っていたのか、そして自分の人生はどうだったのか、何か伝えたかったことはないのか、、、などなど、結局分からず仕舞いになってしもた。。。
ただ、遺された物などから類推すると、父の母に対する思いの深さが如何程であったかが伺え、兄弟揃って驚かされた。
また、事務手続きにあちらこちらを廻る度に、父の死を悼み、生前の父の言動を懐かしく話す人達に出会い、いかに父が地域で愛されていたかを知り、母に遺した物などと併せ、父の偉大さを思い知らされている1週間やな。
ほんま、一生掛かっても父を越えることは出来んやろう、と思うことの連続。
心から、尊敬する人は父やと言える。
ほんまにすごい。。。
巷では終活ってものが盛んに言われてるけど、今回のことがあって『なるほど』と思うね。
何の準備もなく逝ってしまうと、なかなか大変やな。残されたもんは。
携帯の名義変更1つとっても必要書類が多くてややこしいし、一事が万事で結構手間と時間が掛かることを考えると、ある程度チャキチャキ動ける間に準備をしておくっていうのは家族に対する最後の思いやりなんかもしれへんな。
それにしても、一生のうち何度とは経験することの無い家族の葬儀。
あまりにも知らんことだらけでビックリするなぁ。
今回、亡くなってから通夜や葬儀の段取りなんて、死亡確認後1〜2時間の内にせんならんかったし、供養をしてもらうお寺さんへの連絡もすぐにせんならんし、近所や親戚、会社への連絡もあるし。。。
遺影用の写真なんてゆっくり選んでる時間は全然ないねんね。
だからこそ終活ではその辺の事も事前に段取りしてまうんやな。
うちは田舎やさかいに地域のやり方というのがあるんやけど、兄弟3人とも田舎を離れて長いさかいに、今回は近所・親戚の人にほんまに助けてもらった。
田舎の面倒な面でもあるけど、やっぱし、そこが田舎の良さやな。
ずっと疎遠やったにも拘らずわが事の様に親身になってくれて。。。
でも、段取りや事務手続きはなんとでもなるけど、やっぱし、親が元気なうちに色んな話をいっぱいしておくべきやな。
自分の話も、親の話も。
こればっかりは死んでもうたら出来へんさかいなぁ。。。
あとは親父がまだこっちに居る49日の間に、出来る限り残った母の身の回りの環境を整える事。
それがせめてもの親孝行でもあり、供養にもなるのかな。。。
安心してあっちへ行かせてあげたいもんね。