49日も済んで、いよいよ親父もあっちへ行ってしもた。
なんとか親父がこっちにおる間にと思て、ヒマを見ては実家に帰って家の片付けをしてたんやけど、なんとかまぁ当初の目標はおおよそ達せたかな。
あとは時間を掛けて、ぼちぼち。
なんじゃかんじゃとバタバタのうちにひと月余りが経って今、心が軽くなったというか、スッキリしたというか、クリアになったというか、、、薄ぼんや〜〜りとやけど変化を感じる。
縛られてたもんから解き放たれた、みたいな。。。
決して親父に精神的に縛られてたわけでもなく、むしろ逆なんやけど。
親父があっちへ行った、っていうことの現れなんかな。。。
これまでも何度となく分岐点を確信に似た根拠の無い直感で選んでここまで来たけど、今度の家の片付けなんかも、取り憑かれたように一心不乱にひたすら水回りを義務感と切迫感に駆られてやったんは、おんなじような何かがそうさせてたような気がするなぁ。
ま、わしは霊感があるわけでも何でもないさかいに、単なる思い込みかもやけど。
そういう世界があると思う方が、目に見える物だけが全てって思うよりも豊かでいいやんね。信じる信じんは好き好きけど。
今回、葬儀や法事については地元の習わしも含め、ホンマに知らんことだらけで、都度都度近しい親戚筋や近所の人に教えてもらってやって来たんやけど、忘れるといかんと思て箇条書きでまとめてみたら、まぁその数の多いこと多いこと。
お寺さんの話では、淡路のある地域と播州地方のある地域に残ってる風習、っていう、そないにメジャーではない習わしもあるみたいで。
出棺も含め49日までの間、墓へ参る際は御幸道(ごこうみち/ごこみち)という決まった道を通らないといけない、とか。
35日のお寺での法要の後、寺の裏山へ上がって後ろ向きでおむすびを投げる風習とかね。
わしは淡路には高校までしかおらんかったさかいに、そういう知らん事、経験してない事がいっぱいあるねんな。
そういう意味で、今回はええ経験になった。
なによりこの一月半、淡路弁(育波弁)を浴びてる時間が長くて、それが実に心地良い。
見原さんに書いた歌詞『ふるさとの言葉で』の中に、『今も変わらずふるさとは私を迎えてくれるかしら。。。』、『あの日のわたしに着替えたら、不思議ね。笑顔がこぼれた』っていうくだりがあるんやけど、これは正に少し前までのわしの不安であり本心。
ホンマにふるさとってのは、ありがたいね。。。
何十年ものブランクが無かったかのようにみんな接してくれて。
そんな不安はただの杞憂やったし、自分にとっての第一言語は聞くのも話すのも一枚もフィルターを通さへんさかいにやっぱし楽やな。
まだしばらくは事務手続きも残ってるし、片付けも残ってるし帰郷する事が多いけど、もう前みたいにふるさとに対しておかしな不安みたいなものをあまり感じんでも良くなったのが嬉しい。
親父が遺して行ってくれた最大の遺産がそれなんかもな。