京都からの帰り、時間もいっぱいあるし、選曲もせんといかんのんで、美里を聞きながら電車に乗っててなんだか不思議な感覚に胸を締め付けられた。。。
彼女の歌を聴いてたのは中高の頃。
さだまさし同様、彼女の歌も中学の頃から聞き倒して、何かあればどっちかの曲を聴いてたし、歌詞が口をついて出るくらいにわしの一部やった。
大阪へ出て来てからは洋楽一辺倒でほとんど聞いてなかったこともあって、とくに美里にはあの頃のわしがキュッと冷凍保存されてるみたい。
自分の進路も夢もまるで霧の中で、外の世界のことも何一つ知らず、片思いしかしたことのなかったあの頃のわし。
あの頃の自分と不意に向き合わされたような。。。ドッペルゲンガーではないけど。
親父の事でここのところ頻繁に淡路に帰ってるってこともあるんかな。
単純に切ないというんではなく。。。
なんやろ。
渡辺美里から1曲やろうということで、選曲をするのにアルバムを引張り出してきて聞き出したことで、わしの中のパンドラの箱を開けてしもたんかな。。。
彼女の曲の1曲1曲があの頃のわしとものごっつい太いパイプで繋がってて、種々雑多な感情が一気に流れ込んで来て、色んな思いが打ち寄せて来る。
でも、潜在意識の下に追いやられてたこの辺の感情の一群も整理をせんとあかん手のもんなんやろうな。
そういう意味ではええ機会な気がする。
ペルソナとシャドウ。表裏一体の陰と陽。
どちらかに偏り過ぎるとどちらかが悲鳴を上げる。
あれから25年余り経って、あの頃のわしが想像もせんかったような現実を生きてる。
でも、あの頃からず〜〜〜っと自分の中で変わってないダメな部分。
この10年余り自分の中にくすぶってて、自分でも何に起因するんか解らんモヤモヤ。
この辺のモノを解決するヒントがそこにあるんかも知らんなぁ。
色んな事が動き出すと言われてる今年。
10年20年先の自分が笑ってられるように、心の整理をして、乗り越えて、歩いて行かなな。