『アフロキューバ文化考察』の備忘録として
名古屋の愛・LATIN CLUBさんから昨年末にお話を頂いて準備してきた『アフロキューバ文化考察』が終わりました!
前回の投稿でも書いたように、自分のホームページに上げてある「Afrocuban culture」のコーナーを見てオファーを頂いた今回のお話。
自分自身どんな風になるか、ちゃんとお役目を果たせるか楽しみでもあり不安でもあった今回なんやけど、60分予定のところ90分やっちゃうし、途中しどろもどろになっちゃうし、個人的には撃沈😆
でも終了後には愛ラテさんの方以外からも頂戴して、自分が思とはウラハラに、なんとかお役目は果たせたのかな...
いや〜〜〜、やっぱしシャベリはいつも鬼門やな💦
これはもうちょっと訓練した方がええような気がする。
それはさておき、今回の講義で取り上げたテーマと要点を、もし次の機会があった時のために残しておこうと思う。
きのう来てくださった方が見てくれたら、「そういうことが言いたかってんな!」と思ってくれはるかもしらへんしね💦
ということで...
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第一部 ラテン音楽ってなんや?
・ラテン音楽の「ラテン」とは、古代ローマ帝国の言語であるラテン語に由来してる
・ラテン語から派生した言語がロマンス諸語(スペイン語、ポルトガル語、フランス語、イタリア語、ルーマニア語など)で、文法や語彙に多くの共通点がある。
・これらの言語が持ち込まれ、独自の文化が発展したアメリカ大陸の地域が「ラテンアメリカ」
・ラテン音楽とは、ラテン語(から派生した言葉)が話されている国(とくに中南米の)で演奏される音楽。
・ポルトガル語もラテン語系の言葉なので、ブラジルの音楽もラテン音楽と言える。
・日本でラテン音楽というとスペイン語圏の音楽(ブラジルの音楽は入らない)というイメージがあるのは、日本でラテン音楽が最初に流行した1950〜60年代、「ラテン音楽=メキシコやキューバなどのスペイン語圏の音楽」というイメージが強く押し出されたからではないかと思われる。
・なぜ映画「Buenavista social club」は昔のラテン音楽ブームの頃のように流行らなかったのか。 逆になぜ昔は日本でそこまでラテン音楽が流行ったのか。
※ メディア・社会・音楽を取り巻く環境の違い。
※ 戦後間も無くであったということ。
第二部 歴史的背景
そもそもどうやって中南米にラテン音楽と呼ばれる音楽が生まれたのか。
・キューバは港の環境、立地的条件から奴隷貿易の中継基地として重要な場所であり、中南米各国へ向かう船もキューバを経由していた。
※ ヨーロッパの文化とアフリカの文化が混ざり合う下地となった。
※ 音楽的にも、キューバで流行したものが中南米諸国・ヨーロッパへ伝播することもあった。
・1600年代初頭〜1900年代後期、アフリカには数百〜数千に及ぶ異なる言語・文化を持つ集団が存在していた。
・1600年代初頭〜1900年代後期の奴隷貿易によって、1070万人もの人がアフリカから連れ出された。
※ アフリカで積み出された人の数は1250万人。
※ 180万人もの人が航海の途中で死亡したという事実。
※ 18世紀の各国の人口は、
日本→2000万人
スペイン→1000〜1100万人
ポルトガル→250〜300万人
フランス→2000〜3000万人
イングランド→600〜700万人
第三部 音楽的要素
1) キューバ音楽だけでなく、中南米のスペイン・ポルトガルの植民地となった国の音楽は影響の差こそあれど、大別するとどの国の音楽も以下の3つ(ないしは4つ)の要素を含んでいる。
・ヨーロッパ由来の要素
・アフリカ由来の要素
・先住民の要素
・その国で生まれたもの
2) 現在のラテン音楽にみるアフリカの要素とは
・コール&レスポンス
※ キューバ音楽だけでなく、ラテンアメリカの音楽には多くの場合にコーラスとボーカルの掛け合いのパーツが取り入れられている。
・リズム
※ リズムとしての「クラーベ」が聞かれる音楽は限定的だが、Cinquillo(シンキージョ)はブラジルも含め中南米の各国の音楽に聞かれる。
※ 中南米各国において、使用される楽器は違っても、シンキージョのような「あるリズムパターン」を発展させたようなリズムが共通して演奏されている。
※ ラテン音楽に見られるリズムの「揺れ」を理解するのは8分の6拍子(6/8)のリズムを体感してもらうのが一番。
※ 足踏みをしながら「タンタカタン」を両手で叩いてもらう。
まとめ
・リズムだけならまだ影響は限定的やけど、コール&レスポンスとなるともはや影響を受けてない音楽はないくらい。
・普段なにげに聴いてる音楽にもアフリカの要素は入ってるってこと。
・キューバ音楽だけでなく、世界の音楽にとって、アフリカの要素がいかに不可欠なものであるか。
・そのきっかけとなったのは、ひどい歴史ではあるけど、奴隷貿易であった。